夢京橋キャッスルロード
彦根城への入り口のひとつ、京橋口から城下へ延びる通り。格子窓、袖壁、白壁の町家が続く古くて新しい町並みに「食べる」「買う」「暮らす」お店が軒を並べています。滋賀や彦根の名物、近江牛が味わえるお店や湖魚佃煮などが買えるお店もあります。
→OLD NEW TOWN 夢京橋キャッスルロード
○夢京橋あかり館
将軍への献上品にもなっていた「彦根ろうそく」(和ろうそく)のテーマ館。伝統の技を唯一受け継ぐ職人さんの手による和ろうそくをはじめ、アロマキャンドルや和紙ランプなどあかりに関するさまざまなグッズを取り揃えています。オリジナルキャンドルを創ることもできます。
→夢京橋あかり館
○招福本舗
招き猫は第二代彦根藩主井伊直孝が鷹狩りの帰り、木の下で雨をしのいでいたところ、猫が招くのでそちらに行くとその木に雷が落ちて命拾いをしたという伝説にちなんだもの。招き猫専門店「招福本舗」で幸運を呼ぶグッズをお手元にお土産にどうぞ。
四番町スクエア
夢京橋キャッスルロードに隣接する、大正ロマン風の一角に食をテーマにした店舗が集まっています。中心となる四番町ダイニングは食べる、買うことができる食のセレクトショップ。彦根名物、地元の新鮮野菜ほか、全国選りすぐりの逸品を取りそろえています。ひこにゃんグッズの品揃えもNo.1です。お食事は老舗豆腐店プロデュースによる豆腐料理やカジュアルな中国料理はいかがでしょう。周りにも和洋中バラエティ豊かなお食事処や彦根ならではのものが買えるお店があります。
→四番町スクエア
佐和山城跡
東山道(中山道)沿いであるなど交通の要地である佐和山はいつの時代も戦略的な要となっていました。鎌倉時代初期には近江守護佐々木氏によって山麓に館が築かれ、秀吉が天下を統一すると腹心の石田三成を城主としました。関ヶ原の合戦で落城し、後に彦根城の築城にともない、廃城となりました。三成が五層の大天守を築いたということですが、現在往時を偲ぶものはなく、山腹に石垣が一部残るのみです。遊歩道が整備されていますので歴史ハイキングにどうぞ。
龍潭寺
佐和山麓にある禅宗の古刹で彦根藩主井伊家の菩提寺です。学問のお寺として栄え、学僧の教科目で造られた庭園が遺っています。特に方丈南庭は白砂に48の石を巧みに組んだ「補陀落の庭」としてその美しさが知られています。
>>0749-22-2777/9:00~17:00/400円
大洞弁財天(長寿院)
この地が彦根城の鬼門にあたるとして、日光東照宮建立の総奉行であった4代藩主直興が厄除けと城を守る備えとして建てました。石段を登り山門をくぐって振り返ると、山門を額縁にして彦根城が収まって見えます。甲良大工によって建てられ、極彩色で欄間に眠り猫や象の彫刻があることから、彦根日光とも呼ばれています。
>>0749-22-2617/9:00~17:00
宗安寺
夢京橋キャッスルロードに位置しています。彦根城築城の時、佐和山麓から現在地に移されました。赤門と呼ばれる朱塗りの山門は佐和山城大手門を移築したものだと伝わっています。江戸時代には幕府へ往来する文化・外交使節団「朝鮮通信使」の宿舎となりました。その使節団をもてなす肉類を運ぶために作られたのが黒門だといいます。
>>0749-22-0801/9:00~17:00/境内自由、庭園・本堂拝観200円
善利組組屋敷
彦根藩の足軽衆はまちの一番外側に住居を置き、城下を守る役割を果たしていました。面積では善利(せり)組が最も広く、現在も短冊状の屋敷割りで当時のままの一間半(2.73m)の道幅に建物が幾つか残っています。その数は江戸時代の1割程度とか。彦根藩の足軽屋敷は門や塀を構え、母屋の入り口が直接通りに面していない、庭付一戸建てなど小規模ながらも武家屋敷の体裁をとっていたのが特長です。辻番所という建物には角に敵を見張るために二方向に見渡せる監視窓が付いています。しかし、老朽化などにより取り壊される物件が年々増えています。城だけではなく、城下町としての貴重なこの文化遺産をなんとか後世に引き継ぎたいものです。
→善利組足軽組屋敷
旧広田屋敷
この辺りは下魚屋町と呼ばれ、魚屋が集まって居住していた町です。旧広田家は代表的な魚問屋で、屋号を「納屋七」と称していました。現在も軒下に魚を洗っていた井戸が残っています。
天寧寺
11代藩主直中が不義の子を身ごもった腰元を殺めましたが、後に相手が自分の息子だと知り、母子を弔うために建立しました。羅漢堂の五百羅漢像の中には会いたい人の顔が必ずあるといいます。
>>0749-22-5313/8:00~17:00
(左)善利組組屋敷 (中)旧広田屋敷 (右)五百羅漢像(天寧寺)
夢京橋あかり館
招福本舗
四番町スクエア
龍潭寺
大洞弁財天(長寿院)
宗安寺